京都 大原野 勝持寺 しだれ桜      Kyoto Shojiji Temple        9.April in 2013      天空仙人のさくらのかんづめ

京都 勝持寺 Official Page
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散ってしまった西行桜
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京都 大原野 勝持寺 境内図
「境内図」

京都 大原野 勝持寺 しだれ桜

Kyoto Shojiji Temple

京都市西京区大原野南春日町1194


花の寺 天台宗 勝持寺

花見んとむれつつ人の

     くるのみぞ

あたらさくらの

  とがにはありける

            西行法師

地にとどく

  西行桜したしけれ

              虚子


縁起

当山は、京の西山連峯の麓にあって、小塩山大原院勝持寺と呼ぶ古刹であります。 白鳳八年(西暦679年)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、 延暦十年(西暦791年)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽藍を再建され、 薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされました。

承和五年(西暦838年)仁明天皇の勅によって塔頭四十九院を建立されましたが、 応仁の兵火に遭い、仁王門を除きすべて焼失しました。 現在の建物は乱後に再建されたものであります。


不動堂

弘法大師が平安の始め、眼病になやむ人達のため、不動明王に病魔退散を祈願されたところ、 霊験あらたかでありました。 よって石不動明王を刻んで岩窟中に安置されたと伝えられています。 以来、諸病平癒の不動様として信仰されています。


西行法師

鳥羽上皇に仕えていた北面の士佐藤兵衛義清が、 保延六年(西暦1140年)当寺に於て出家し西行と名を改めて庵を結び、 一株の桜を植えて吟愛しておりました。 世人はその桜を西行桜と称し、 寺を花の寺と呼ぶようになりました。


仁王門

応仁の兵火を免れた仁寿の旧構を残す当寺最古の建造物です。


瑠璃光殿の宝物

重要文化財薬師如来像(本尊)

像高85.1cm、寄木造で全体に漆箔してあり玉眼がはいっている。 左手の薬壺から右手で薬を摘まみ取る珍しいお姿。      (鎌倉時代)

重要文化財薬師如来像(胎内仏)

本尊の胎内より発見された仏様。像高9.1cm、檀木を用いて全体に細微な刻技を施し、 光背には七仏薬師と十二神将を配して素地仕上げされている。(平安前期)

重要文化財金剛力士像(仁王像)

当初、寺より500m山麓の仁王門に安置されていた。像高3m、寄木造りで湛康・慶秀の作。(鎌倉時代)

日光菩薩像・月光菩薩像・十二神将像(薬師如来の眷属仏)

日光菩薩は太陽、月光菩薩は月を持たされている。像高120cm。 十二神将は頭上に干支を載せられ、薬師如来を各方面から取り巻く。 像高85cm。共に寄木造りで彩色が施されている。(鎌倉時代)

西行法師像

-平安末期の歌人西行は保廷六年(1140年)当寺で出家されたと伝えられる。 像高55cm、寄木造りで漆塗りされている。(室町時代)

醍醐天皇勅額

延長五年(927年)小野道風は醍醐天皇の勅により、「勝持寺」の額を納められた。 摂政大政大臣近衛家熙公の御添書がある。(平安前期)


歌枕瀬和井の泉と冴野の沼はともに境内にあります。 謡曲西行桜及び小塩は当山を主題としたものです。


桜と紅葉

境内は西行桜を始め数種類約100本の桜が植えられ、 その大半を占める染井吉野は例年四月上旬に満開となる。 また同じ数ほどの、もみじが自生し例年11月中旬紅葉を迎える。


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