八王子 本立寺 桜
      Honryu-ji Temple
          9.April in 2006
                   天空仙人のさくらのかんづめ
八王子 本立寺 Official Page
八王子 本立寺 桜 写真
「八王子 本立寺 桜」

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八王子 本立寺

東京都八王子市上野町11-1


日蓮宗 長鉱山 本立寺

日蓮宗とは、

日蓮宗は今からおよそ750年前、鎌倉時代の建長5(1253)年4月28日、 日蓮聖人が千葉県小湊の清澄山・旭が森で初めて「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えたときに始まります。 日蓮聖人は太平洋に面する外房の漁村に生まれ、16歳のとき、仏道を歩むことを決心し、出家しました。 しかし、当時の日本には多くの仏教宗派が林立し、仏教の祖であるお釈迦様の本意がどこに伝えられているのか、 とても見えにくい状況にありました。

そこで聖人は比叡山をはじめ各地に修行して、とうとう「妙法蓮華経』(法華経)こそがお釈迦様の真意を包み隠さず、 素直に表現したお経であることを確信し、仏法を求める人々が迷うことなく、 お釈迦様のお心(教え)に触れることができる、道標を示されたのです。

日蓮宗には身延山久遠寺(山梨)を総本山として、国内外に五千数百の寺院があり、 それぞれが本尊としてお釈迦様をお奉りし、「法華経」をその教えの根本として題目修行によって仏道を歩むことを志しています。


本立寺沿革

当山(本立寺)は今から遡ることおよそ450年前、永禄9(1566)年、 身延山久遠寺第17世、慈雲院日新上人の教化によって真言宗の寺を改宗し、 日蓮宗の寺として、本立寺と名を改めたことに始まります。、 当時の寺は現在の八王子市北部丘陵地帯に築かれた滝山城城下にあり、その後八王子城(元八王子)城下へ移転、 その落城により現在地へと移り、およそ400年を経ています。 歴代住職(現在29世)は寺号の由来となる「我本立誓願」(われ、本、誓願を立て)、という 『法華経方便品第二』にお釈迦様が述べられた、 「一切衆生を仏道によって救済しよう」という誓いをこの寺の根本精神として、それぞれ実践してきました。

特に江戸時代には幕府より御朱印領を賜わるとともに、熱心なご信者から土地の寄進等を受けて境内地を拡張し、 立派な伽藍を整えました。 明治維新を間近にひかえた慶応元(1865)年には8間(14.4m)四方の近隣に比を見ない本堂が建立され、 多くのお題目を唱える信者が集まる道場を形成しました。

しかし、およそ400年続いたこの寺も戦火には敵わず、昭和20(1945)年8月2日の八王子大空襲によって、 すべての建物が灰塵と帰しました。 現在ある施設は戦後50年に渡り、お檀家方のご寄進を得て復興されたものです。 平成14(2002)年には立教開宗750年を記念して本堂を大改修し、 将来にわたって『法華経』の道場としての機能を果たすべく、修繕が行われました。 また、山内には500軒以上のお檀家の墓地があり、それらの墓所をお守りするとともに、 日蓮宗の伝統的な法要儀式に則って、ご先祖の供養をしています。 時代は移り変わってもお釈迦さまが悟られた真理は不変であり、 そのことを伝え続けていくことが当山の使命であり、 常に檀家、近隣、社会に貢献できる寺であるよう努めています。


本堂

木造、銅葺きの本堂は、昭和28(1953)年に建立、平成14(2002)年に改修されました。 本堂正面に安置されている日蓮聖人像は、日昭上人(日蓮聖人の直弟子・六老僧のひとり)の作とされ、 若かりし日の聖人のお姿がうかがわれます。 日昭上人が百三歳の長寿であったことから、当山の聖人像は「開運延寿の祖師」として古くから信仰を集めています。 このため、本堂入り口こも「延寿殿」という山号額が掲げられています。


浄行堂と浄行菩薩

浄行菩薩はお釈迦様の脇に従う4人の菩薩様のお一人で、本堂内にも祀られ、お釈迦様のすぐ右脇のお像がそれです。 「浄行」というお名前が示すように、我々の悪い行いや、体の悪いところを浄めてくれる菩薩様です。 そのような事から、当山では身近に浄行さまを拝めるように、古くから浄行堂を作り、お祀りしています。 お堂に向かって右の像が戦争で破損した戦前のもの、左が戦後新たにお作りしたものです。 日々多くの方がお参りし、自身や家族が怪我・病気などをしたところをタワシで洗い清め、 身体健全を祈願しています。 また、それらの願い事が成就したときには、お礼参りをして、新しいタワシを奉納します。 浄行さまはとてもご利益の多い菩薩様です。


摩利支天像

本堂内、向かって右側に奉安されているのが摩利支天様です。 以前は境内に摩利支天堂があり、そちらに祀られていました。 摩利支天様にはいろいろな姿をしたお像がありますが、 当山の摩利支天像には顔が三つ、腕が八本あり、猪の上に立っています。 また、その手には針と糸、弓と矢などが握られています。 摩利支天様は元来風神の一人とされていますから、弓と矢は風の象徴として、 また、針と糸は災いの元である口を閉じるためと信じられています。 摩利支天様の前では口を慎んだほうがよいかもしれません。

本立寺 しおり より


八重紅枝垂桜

この桜は市内横山町に在住であった金子吉蔵氏が昭和55年12月、 京都市右京区山越中町の植藤造園(第十五代佐野藤右衛門氏)の苗園より 八王子市に移植した2本の八重紅枝垂桜の一本で、平成三年金子家より当山に寄贈されたものであります。 この桜の親木は平安神宮が創建された明治28年、仙台市長遠藤庸治氏により寄贈されたもので、 更にそのもとは近藤家に伝来した「糸桜」を津軽藩主が持ち帰り育て、 それが再び京都に帰ったことから「里帰り桜」とも言われています。 そして後年、第十五代佐野藤右衛門氏が山越の苗圃にて平安神宮の親木の穂木より接木培養したのが この「八重紅枝垂桜」であります。 平安神宮の八重紅枝垂桜は谷崎潤一郎の小説「細雪」にも登場し、 京都の春を象徴する桜として神苑の数ある桜の中でも特に人気があります。

平成十七年春  本立寺

境内 案内板より


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