もみじ寺 金剛寺(こんごうじ)      紅葉 & 黄葉    Kongoji Temple   Red or yellow leaves of autumn  19.Nov.2010    天空仙人の紅葉のびんづめ

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もみじ寺 金剛寺(こんごうじ)

Kongoji Temple

東京都北区滝野川3−88−17

3-88-17,Takinogawa,Kita-Ku,Tokyo


真言宗豊山派。瀧河山松橋院金剛寺と号し、本尊は不動明王像です。

縁起によれば、この地は、弘法大師遊歴の古蹟で、大師自ら不動明王像を彫り、石の上に安置した、 これが同寺の本尊であるといい、また治承年中(1177〜81)、源頼朝が松橋弁天を信仰し、 堂舎を建立、あわせて田園を寄進したが、その後兵火に焼かれ、強盗に田園を掠奪され、 宗門すら定かでなかったのを、天文(1532〜55)のころ阿闍梨宥印という僧がこれを歎いて北条氏康に訴え、 真言宗の道場にしたということです。

松橋弁天というのは、この寺院の西側、崖下にある洞窟(現在は石神井川護岸の裏側になっています)に祀られていた弁財天のことで、 岩屋弁天とも呼ばれていました。江戸時代、かなり広く知られていたようで、現在も区内に何ヶ所か、 その名を彫った道標が残っています。

「源平盛衰記」に、源頼朝が隅田川を渡って府中に向かう途中、「武蔵国豊島の上滝野川、 松橋という所に陣を取る」と記されております。また、この寺院の一帯は、豊島氏の支族滝野川氏の居館滝野川城跡といわれています。 境内には、鹿島万平翁の碑などがあります。

北区 文化財 案内より


源頼朝の布陣伝承地

治承4年(1180)8月、源義朝の三男頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。 初戦に勝利するも、石橋山の合戦で破れて安房国に逃れ、そこから上総国・下総国の諸将を味方ににつけ、 隅田川を渡ります。滝野川・板橋を経て、府中六所明神に向かい、さらにそこから鎌倉を目指します。

そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝は、後に鎌倉幕府初代将軍として、その場所に政権を樹立することになるのです。

この途次の10月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。松橋とは、 当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って、 松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。

弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師作と伝えられる弁財天に祈願して、 金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられています。

この地域は、弁天の滝や紅葉の名所として知られていました。現在、金剛寺が紅葉寺とも呼ばれるこの頃の名残がみられます。

東京都北区教育委員会 案内板より


紅葉のびんづめ飛べ 天空仙人さくらのかんづめ旅のかけら


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